勘助誕生地の碑

勘助誕生地の碑1

吉野本家の長屋門の左手に『山本勘助勘助誕生地』の碑が立っています。この碑は、大正13年に、昭和天皇御成婚を記念して大宮町山本の青年団が県の補助を得て建てられたものです。

碑の裏面には、勘助の出生から川中島の合戦で戦死するまでの事暦が略記されています。

碑の裏面

勘助誕生地の碑1

裏面そのままの原文資料です。

勘助誕生地の碑1

原文を解読したものです。

勘助誕生地の碑1

石碑裏に刻まれた文書より

山本勘助晴幸は冨士郡大宮町山本なる吉野家に生る父を吉野貞幸と云い母は大橋氏、其の先吉野冠者源重季に出ツ重季の子孫世世南朝に仕えて臣節を致し八世貞倫山本村に移り多由八幡宮を創建して其 の祠戦となる男貞久専を軍学を修めて男子を挙げ長を貞宗といい次を貞幸という貞宗子なく貞幸の一子を養て祠となす貞幸亦文武を励み諸国を巡遊して参州牛窪に住し山本氏を稱し同地の人大橋入道の 女を娶り後山本に住して一子を源助と名づく源助年12出て牛窪の人大林助左衛門の養子となり名を勘助と改め年二十大林氏を去り山本氏を冐し京都に出て専ら文武の両道を学び河内に入り楠公の遺蹟を 探り軍学の応用築城の利害を研鑚して其奥義を極め牛窪に住して軍学兵法を講し其名四境に聞えしかは武田晴信幼時に主従の約を定む。
天文13年晴幸甲府に入り公の帷幄い参し同15年3月奇計を以って村上義清を破り殊勲人を驚かし名聲内外に云々。
永禄4年9月10日川中島戦役に従い奮闘数字其身遂に是役に斃る行年六十三法諡鉄巖道一禅定門子息某嗣き亦長篠に戦死し跡絶つ今や静岡県補助の下に、 摂政宮殿下の御成婚を記念すべく大宮青年山本分團等建碑の企あり吉野宗家の主賓文を予に乞う予乃 て事歴の梗概を叙し堅石に刻して其の産地に建つ。

大正十三年建立

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