勘助

富士宮市粟倉にお住まいの『中川せんじさん作』のイラストです。

当サイトでは、中川せんじさんの親族(兄・治さん)の了承を得て、中川せんじさんのイラストを掲載しております。

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山本勘助

山本勘助は、『風林火山』の旗のもと、戦国最強といわれた武田軍団に仕上げた武田信玄の軍師『知恵袋』としてその名をとどろかせていますが、その生年生地は不詳の武将です。

しかし、『甲斐国誌』や富士宮市を中心としに伝わる資料では、富士宮市山本で生まれたと伝えられています。

駿河の国富士郡山本村(富士宮市山本)に父・吉野貞幸、母・安女の三男として生まれ、幼名は源助といいました。(生年については3説あります。)

軍学の師範をしていた父から、吉野家にあった兵法書を読み聴かされて育ったと言われています。

また、母とともに川や畑に出かけ、自然の中で自給自足の生活を身につけて育ったということもあり、後の放浪の旅に役立ったといわれています。

12歳の時、三河牛久保の大林勘左衛門の養子となりますが、20歳の時、養父に実子が生まれたため、その昔、父が諸国遍歴・文武研鑽の旅でたどった道、を目指し旅に出ます。

その後50歳の頃、武田信玄に召し抱かれますが、これは、吉野家が武田家と同じく源氏の流れをくむ家系でもあり、穴山氏とも血縁、地縁もあったことから信玄は勘助を高く評価したのではないでしょうか。

富士山の南麓『富士宮市・富士市』には、その功績人柄から勘助や信玄、武田家ゆかりの地が多く存在しています。

勘助のふるさと富士宮市山本はどのようなところであるか、そうしたことを考えながら、勘助の存在について紹介していきます。

勘助1

地元の情報

先日からSBSマイホームセンターへ出かけておりインターネットにていろいろなハウスメーカーで建築された方のブログを拝見しておりました。その中で富士市の方のこのブログ記事を妻が見つけ眺めていました。三井ホームのシュシュ女性目線のデザインでとても気に入ったみたいです。静岡では浜松にしかモデルハウスはないみたいですね。

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